12月24日 クリスマス会
る¥利用者今年はいろんなことがあった。 その大半は後半に起こった。 6月下旬、腹が痛くなり39度の熱に侵され全身麻酔で4時間の手術。 持病の「肝嚢胞」のイタズラと思っていたが実は「急性胆嚢炎」、結果胆嚢の摘出手術を受けた。 このような大病は初めてだったので自分が還って来れるかどうか判断できなかった。 それで、今年写真展をすることを予定に入れると還って来れると思って9月下旬に友人のギャラリーの予約を手術直前に入れた。 もともと医者からは2時間の予定と聞いていたが、結果は4時間かかった。 腐っている所を取り除くのに手間がかかったとのことだった。 その間、妻は一人で待っていて2時間と聞いていたのが4時間になったので気が気ではなかったようだ。 腹腔鏡手術なのが手術中に「開腹手術に切り替え」もあると言われていて、その場合には妻の同意がいると言われて待たされて気を揉む4時間だったと聞いた。 手術が終わって手術室を出る時に妻の声で「頑張ったネ!」と言われてこの世にいることを認識できた。 そして激痛が身体を襲った。 麻酔から覚めたのは良いのだが痛み止めが効いていないので1時間ほど激痛に見舞われた。 でもその痛みを記憶しておこうと頑張ったが翌日にはその激しい痛みは忘れていることに驚愕した。 10日余りで退院、それから2週間ほどして執刀医から完治を宣言された。 でも、なかなか撮影に行けるものではなかった。 9月下旬の写真展の準備にかかる。 ところが8月下旬に妻がコロナ感染、孫からのもらい物であった。 続いて小生が感染、10日の自宅療養を余儀なくされた。 この間に写真展の準備は完了。 写真展初日は台風に見舞われお客様は一組2人だけ、後半にも台風が来て散々な個展に終わった。 でも気持ちの整理はついた。 12月初めは「ヒトメタ」と言われている風邪、これも孫から妻に感染。 妻は39度の熱がおよそ一週間続いた、それが終るころには小生が貰った。 それでも熱は37度少しで一日で終わるも身体がだるくて辛い一週間だった。 妻は「コロナよりひどい目に遭った」と言っている。 10月後半から15年続いている「身障者施設での写真展示」、そのひとつから「20年史製作」の協力要請が来た。 二つ返事で引き受けて施設や利用者・インベントの撮影に入った。 3回ほど撮影が進んだ頃、その施設でコロナの感染者が出た。 代わりにその施設の下部組織での撮影を依頼された。 23・24日と撮影、23日は手品、24日は南京玉すだれの催しが行われ、子供たちは大喜びだった。 その時の写真を一枚許可をもらってUP します。 この写真をクリックしても、追加の写真は出ませんのでご留意ください。
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