5月14日 能登町~輪島市へ
13日の宿舎は津幡町、七尾市から車で1時間半くらいの距離。 道路は応急処置のため平たんではなく随所に穴埋めのアスファルトがむき出し。 そのため、車が上下に揺れることが普通。 それを避けて走るために、前からの車も真っすぐは走らない。 それでいつこちらに向かってハンドルを切られるかを予想して走らなければならない。 しかも、津幡町や羽咋市まで戻らなと宿舎は確保できない。 13日の最終調査点は七尾市だった。 津幡町から出発、まずはガソリンスタンドを探す。 その間に見つけた光芒の風景をゲット。 ガソリンは結構高い。 リッター185円はザラだ! そして昨日の最終調査点へ辿り着く。 ここで七尾北湾に毛嵐が出ていたので急遽撮影することにした。 過去の訪問でもこの地域にこの季節で毛嵐は非常に珍しい。 急に冷え込んだのが原因だろう。 そして近くの唐嶋社へ寄る。 ここからの和倉温泉街は霧の中に僅かに見えるだけだった。 そして穴水の「ボラ待ちやぐら」へ行く。 ここでお会いしたおばあさんに会おうとしたが、おばあさんのご自宅は消えていたのだ。 仕方なく鹿波の田んぼを目指す、ここで農家のご夫婦と出会っている。 もちろん、ご自宅は分からない。 とりあえず、田んぼに行って誰かいてくれることを祈るだけだ。 残念ながら誰にも会えず、鵜川方面へ向かう。 鵜川はほぼ全壊状態、公民館で知人の便りを伺って仮設住宅へ行く。 老人会の催しで宇出津へ行ったとのこと。 写真は郵便受けに入れて宇出津方面へ。 藤波で以前出会った漁師に会えた。 地震の話や近況を伺う。 この付近ではさしたる被害はないという。 宇出津市街の方が被害は大きいとのこと。 確かに宇出津では崩壊家屋も散見された。 宇出津では友人のご自宅が崩壊しているので寄りたかったが、場所の詳細にたどり着けなかった。 そして小木、九十九湾で知人を散策するも見つからず。 穴水町甲に戻る。 ここではお世話になったお寺の住職に会いたかったが不発。 みやげの酒を置いて失礼する、後から分かったのだがご自宅にいて呼ぶ声が聞こえなかったとのこと。 これも仕方がない。 甲では魚屋さんの奥さんと再会、そして甲みそのオーナーと会えて情報をもらった。 味噌屋さんは味噌を仕込む時期に水道がダメだったので知人から水を分けてもらったとのこと。 魚屋さんはご主人はご病気で亡くなっていた。 お店は一部損壊ながらも壊す選択をした。 ご自宅は問題はなかったのが救いだとのこと。 そして輪島へ入る。 朝市通りで焼け跡の整理をしている青年と出会う。 お話を伺う。 火の勢いはすごかった! でも、復興するしかない! 気丈にお話を聞けて気持ちが少し和らいだ。 朝市通りは壊滅状態なので過去に撮った写真をみてもどこにいるのか全く分からず。 その青年にガイドをしてもらってやっと理解できた。 5カ月近く経つのに焼野原はそのままの状態であった。 青年に朝市でお世話になった人の写真を預けて手渡していただけることになった。 この日はここで切り上げ。 再び1時間余りかけて今度は志賀町の宿舎に向かった。
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