7月29日 輪島を散策
ともかく輪島市内の状況は見ないと分からない。 震災から7カ月が過ぎた。 あと片づけはなかなか進んでいない。 持ち主の了解を取るにも連絡がつかないところも7あるという。 朝市の燃えた場所は重機も入ってやっと片づけに入った。 工事関係者に聞くと「6月の初めから作業に入った」、「自分も被災者だけれど仕事がないのでこのように解体工事の手伝いをしている」、「壊さないでくれという持ち主もいる」などいろんなことが重なり合っての状況に言葉がない。 お世話になった酒蔵にも行ってみたが住めることもできない。 残っているのは工場の一部と酒タンクだけ。 お家が半壊で住めない人に出会った。 現在は山中温泉のホテルに二次避難しているとのこと。 ここまで来るのに3時間かかる。 自宅の整理と郵便物の回収が目的。 整理をして必要な物を持ち出したいが保管場所がない。 はやく仮設住宅が欲しい。 自宅は壊すしかない。 許可をもらって撮影した。 この惨状を多くの人に知らせて欲しいと言われた。 火災現場では日本料理屋を代々やっていた店主に出会った。 朝市通りを通って学校に通っていた。 朝市のお店の人から「おはよう! 行っといで!」と声を掛けられて過ごした。 後ろからの撮影だけ許可をもらえた。 当日お店には祖母だけが住んでいたが、地震で外に出たら「津波が来るから」と言って市役所まで連れて行ってもらえた。 ご無事だったとんこと。 跡形もなくなって近くの様子が面影を思い出してもそれがどこか明確に示すことができない。 その時の姿が頭の中に描かれているようだった。 「お元気で、頑張って下さい としか言えませんが」とお伝えして別れた。 その後、雲間から太陽が顔を出したので少し撮影して宿舎に戻った。
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