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墓参り

父の命日は1月1日。 なぜこの日を選んだのだろう、当時の私はほとんど出張の連続だった。 もちろん、帰宅している時は当番制で父の看病に参加していた。 最後の日は私が自宅にいるであろう日を選んだのではないかと思っている。 12月31日の早朝、病院から危篤の連絡があり駆け付けた、その日は容体を回復して自宅に帰った。 そして翌日は「亡くなった」との連絡があり、病院に駆け付けた、温かみが残った父の顔にカミソリを使ってヒゲを剃ってあげるのが最期の看病になった。 でも、その年以降1月1日に自宅にいることは少なく、その後3年後には写真を始めたので撮影旅行に費やした。 1日が命日、それよりお彼岸、お盆にお参りする方が多かった。 10年前には墓を移してお参りしやすい場所にした。 それから、3兄弟でお彼岸・お盆は一緒にお参りして帰りに食事が慣例になった。 昨年からそれに1月1日も追加された。 私が撮影旅行から1月1日を外したからである。 父には親不孝な息子だったと思う、我がままで通した父との付き合いも思い出せばキリがない。 そんなシーンを思い出すのが墓参り。 自宅から墓まで、気が付いた写真を撮り続けた、これは初めてのこと。 それで昔を偲ぶ気持ちになれたのだと思う。 街中は意外と人通りが少なく、お寺と神社は初詣で混雑、そんな日に墓参り。 人と違う行動になぜか満足している自分がいた。

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